カルティエ(カルチェ)の歴史 輸入シルバーアクセサリーブランド最前線

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「カルティエの歴史」についてのページです。

1847年、金細工師を父に持つルイ フランソワ カルティエが、宝石商で師匠のアドルフ ピカールから、パリ、モントルゲイユ街31番地のアトリエを譲り受ける。メゾンカルティエの誕生です。


1856年、大のカルティエびいきだった皇帝ナポレオン3世の従妹マチルド皇女が初めてカルティエを訪れ、夜ごと開かれる華やかな舞踏会の為の宝飾品を買い求める。


1859年、カルティエ、イタリアン大通り9番地に進出。


1874年、伝統を樹立する為2代目アルフレッド・カルティエが父から経営権を受け継ぎ店の経営を任される。


1888年、最初のブレスレッド ジュエリー ウォッチを製作。


1898年、アルフレッドの長男ルイ・ジョゼフ・カルティエ(1875−1942)が共同経営者となり、社名をアルフレッド・カルティエ・&フィスと命名しました。

翌年新しい世紀の到来に向けてリュ・ド・ラ・ぺ13通りへの移転を決めました。


1902年、カルティエ ロンドンがオープン。

ロンドンで行われるエドワード7世の戴冠式のための王冠と、列席する世界中の王室から27ものティアラの注文を受けていたのです。


1904年、ルイ・カルティエは友人である当時飛行家として一世を風扉していたブラジル人飛行士アルベルト サントス デュモンの「飛行機の操縦桿から手を離さずに見ることのできる時計が欲しい」というリクエストのためにレザーストラップ腕時計を製作。

完成した時計は、とてもエレガントでありながら実用的。これがカルティエ初の男性用腕時計です。後の1911年、このモデルは「サントス デュモン」として発売されました。 同年ルイ フランソワ カルティエ死去。


1906年、ジャック カルティエ、ロンドン店の経営者となる。抽象的、幾何学デザインの「アールデコ」ジュエリーを試作。初の量産型腕時計、ブレスレッド・ウォッチ「トノー」を製作。


1908年、ルイがパリのオークションで買い上げたブルーダイヤモンド「ホープ」をピエール・カルティエが販売。「C」を組み合わせたロゴマークが誕生する。


1911年、1904年の友人のために製作したモデルを原型にした腕時計「サントス・デュモン」を発表。


1912年、パリ市議会、カルティエの「皇帝の卵」を皇帝ニコラス2世に贈呈(現在はニューヨークのメトロポリタン美術館に収蔵されている)。最初のバケットカットのダイヤモンド創作。「コメット」クロックの発売。


1913年、28歳の天才時計師、モーリス・クーエが初のミステリークロック「モデルA」を発表。水晶の中に文字盤が浮いているように見えるため、この名がある。


1914年、パンテール(豹)モチーフを初めて採用。当時の女性ディレクター、ジャンヌ・トゥーサンのあだ名がパンテールだったことによる。パヴェ ダイヤモンドとオニキスのパンテールがベゼルを飾る婦人用オーバル ブレスレット ウォッチを製作。


1917年、ピエール カルティエが55個と73個の2連真珠ネックレスをモートン F.プラント邸と交換したことによりカルティエ ニューヨーク店は5番街653番地に移転。


1919年、腕時計「タンク」を発表。


1923年、門形ミステリークロック「ビリケン」誕生。


1924年、トリ二ティリング、いわゆる3連リングが誕生。ルイ・カルティエは、優れた詩人であり芸術家であるジャン・コクトーを称えてリングをデザインしました。それは、友情を表すホワイト、忠誠を表すイエロー、愛情を表すピンクとそれぞれ異なる色のゴールドを組み合わせ土星をモチーフに作られています。永遠の愛のシンポルであるカルティエ スリーゴールドの誕生です。


1925年、アルフレッド カルティエ死去。


1929年、カルティエ、サンモリッツに支店を開設。


1931年、グラモン公爵のために、初めてアカデミーフランセーズ会員の剣を製作。「ミステリー懐中時計」を発表。


1933年、ジャンヌ トゥーサンがカルティエ高級宝飾部門の全権を委任。見えないセッティング(通称 "ミステリーセッテイング")の特許権取得。


1942年、ルイ カルティエ死去。同年ジャック カルティエ死去。


1945年、ピエール カルティエがカルティエ パリとカルティエ ニューヨークの社長に就任。ジャックの息子のジャン ジャック カルティエがカルティエ ロンドンを経営。


1948年、ルイの息子、クロード カルティエが、パリに戻った祖父のピエールからカルティエ ニューヨークの社長を引き継ぐ。


1955年、ジャン コクトーのために、彼自身のデザインによるアカデミー フランセーズ会員の剣を製作。


1965年、ピエール カルティエ死去。


1967年、次々と新しいスタイルが生まれます。ロンドンのアトリエでは事故で大きく損傷してしまった腕時計からインスピレーションを得て、クラッシュウォッチが創作されました。変形したケースが目を引くこの腕時計は、今日、時計コレクターの垂涎の的になっています。


1968年、カルティエ ブランド初のオーバル型高級ライター(収納式ローラー)の誕生。


1970年、大ブームを起こし、すでに定番にもなっている、ビスで留められている「ラブブレスレット」や「ラブリング」が若きデザイナー、アルド・チプロによりカルティエニューヨークの為に作られました。


1972年、ジョゼフ カヌイを中心とする投資家グループがカルティエ パリを買取り、ロベール オックがカルティエ パリの社長に就任。カルティエ各店および代理店を通じて売る時計のニューコレクションを発表。


1973年、新コンセプト「レ マスト ドウ カルティエ」を発案推進したアラン・ドミニク・ベランは、伝統あるメゾン、カルティエに若さとモダニズムの息吹を吹き込み、以後カルティエに多大な影響を与えています。 同年ビアリッツとシンガポールに最初の「レ マスト ドゥ カルティエ」ブティックがオープン。


1976年、「レ マスト ドゥ カルティエ」ラインのヴェルメイユ腕時計のコレクションの発表。オーバルペン(楕円形万年筆)を発表。


1978年、スティール&ゴールドの腕時計「サントス」を発表。カルティエ スカーフ初のコレクションを発表。


1982年、ミシュリーヌ カヌイが宝飾部門の責任者となり「カルティエの芸術」をテーマとする彼女の最初のニュージュエリー コレクションを発表。


1985年、1943年の防水腕時計にヒントをえた腕時計「パシャ」を発表。


1986年、「パンテール」をテーマとする第3回ニュージュエリー コレクションを発表。 腕時計「マスト 21 ヴァンテアン」(オール スティール)を発表。 万年筆「パシャ ドゥ カルティエ」を発表。


1993年、10月23日カルティエ、ピアジェ、ボーム&メルシエ、ダンヒル、モンブラン、クロエ、カール ラガーフェルド、スルカ、ハケット、シーガーが参加するヴァンドーム グループ設立。 クロノリフレックス ムーブメント ウォツチ「パシャ、クーガー ドゥ カルティエ、ディアボロ」を発表。「マスト・ウォッチ」と「エリプス」リングを創作。 パステル調のクロコダイルの「ミニ パンテール ドゥ カルティエ バッグ」を発表。


1994年、ジュエリーのニューコレクション、「ゴールド チャーム」。アールデコ、サンペテルスブルグ、パールをテーマにした3つのジュエリー ウォッチ コレクション。ジュエリー「ナチュラ」コレクションを発表。 サントス デュモン ウォッチの90周年を記念して、プラチナとピンク ゴールドの限定版サントス デュモンを製作。男性用レザーグッズコレクション「ゴールド オン ブラック」を発表。


1995年、ウォッチのニューコレクション、「パシャ」と「パシャC」を発表。万年筆「ルイ カルティエ」を発表。 パルファン「ソー プリティ ドゥ カルティエ」を発表。


1996年、ウォッチのニューコレクション、「タンク フランセーズ」を発表。


1997年、カルティエは創業150周年を迎える。ブレスレット「アニバーサリー」発表。


2002年、新作時計「ロードスター」発表。

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